走行距離 約40km
使用車種 ROVER AL-CRB7006M
2013/01/12 日本橋クルーズで間違えて他の船に乗ってしまったわけですが、今回はそのリベンジ。東京水辺ラインの日本橋川・神田川めぐりに乗ってきました。もちろん船着場までの往復は自転車です。更に下船後に自転車で川沿いを走って二度楽しもうという計画。
小型水上バス「カワセミ」川めぐり橋めぐり
12:20出航なのに、12:10くらいのギリギリに日本橋船着場に到着。
日本橋川は橋と潮位の関係で背の高い船は航行が難しく、この様に平べったい形が採用されています。
後方から。後方にデッキはありますが、透明の屋根の上には行けません。従ってデッキにいる時は前方の視界はかなり制限され、側面及び後方の景色を楽しむことになります。それを見越して定年世代の男性軍団が一眼レフカメラを片手に最後尾を占拠しており、後方の撮影も遠慮しながらとなりました。
それでは出発。まずは日本橋川を河口に向かいます。
河口付近を除いて、日本橋川は首都高速が空を被っています。ここは江戸橋ジャンクション。
江戸橋ジャンクションのほぼ真下に、兜神社があります。由来等は以下参照。
猫の足あと 兜神社
源義家がこの岩に戦勝祈願したのが由来とか。この後出てきますが、近くの鎧橋も源義家由来だそうです。
近くに東京証券取引所がある兜町だけに、賽銭箱も豪華(笑)。
拝殿。真上が首都高速とは罰当たりな…
鎧橋と東京証券取引所。
同じく鎧橋と東京証券取引所。鎧橋は昭和32年完成だそうで、実用性重視でスマートです。下船後ポタリング中に撮影。
日本橋水門と奥に霊岸橋。潮位により亀島川が洪水が起きない様に日本橋水門があります。霊岸橋は永代通りを走る際に通りますので馴染みがあります。
湊橋は三連アーチ橋。昭和三年に関東大震災復興事業で架けられた橋だそうです。古い橋なのに新しく見えるのは、平成元年に化粧タイル装飾が施されたからだそうです。下船後ポタリング中に撮影。
江戸時代の船を思わせるレリーフがオシャレです。
豊海橋。昭和二年竣工。この橋も関東大震災復興事業で架け替えられた橋だそうです隅田川支流河口部の第一橋梁はそれぞれデザインを変え、船頭がどの川か一目でわかる様にしたそうです。豊海橋は梯子を横倒しにした様な重量感あるデザインで、区民有形文化財に登録されているそうです。
豊海橋を潜ると隅田川です。
今回の航路は隅田川を遡るので潜ることはありませんでしたが、隅田川下流の永代橋。力こぶの様な逞しさ。ホワイトバランスがおかしくて青っぽくなりすぎました。
隅田川大橋が近づいてきました。これは下船後ポタリング中に隅田川沿いの河岸緑道から撮影。
続いて清洲橋と東京スカイツリー。
同じく清洲橋。これは下船後ポタリング中に隅田川沿いの河岸緑道から撮影。清洲橋は近くで見ると鉄骨が逞しいのですが、離れて見ると優美な曲線の美しい吊り橋です。いずれも震災復興事業で架け替えられた永代橋と清洲橋ですが、デザインは男性的な永代橋と女性的な清洲橋でワンセットになっている様です。
小名木川と萬年橋。萬年橋も復興事業で昭和五年に架け替えられたそうです。江戸時代には葛飾北斎や歌川広重も描いた優美な橋だったそうです。この橋の左側に深川芭蕉庵(芭蕉庵史跡展望公園)があります。
深川芭蕉庵。狭い道の奥に入口があります。下船後に寄ってみました。
深川芭蕉庵から隅田川上流方面。展望広場なので景色は見事です。ただずっとスマホをいじっている若い衆がいたので、見学は早々に終了。
新大橋を通過。橋の形状が皆違って楽しいです。
両国橋が見えてきました。
両国橋と東京スカイツリー。橋の途中にある丸いアクセントは両国国技館に因んで土俵をイメージしたものだそうです。この写真は下船後に撮影。
両国橋の隅田川左岸から神田川河口方面。この写真は下船後に撮影。
神田川河口にかかる柳橋です。いよいよ神田川を遡ります。
浅草橋から神田川河口方面。神田川河口は屋形船の停泊地になっていました。この写真は下船後に撮影。
和泉橋手前、神田川沿いの神田佐久間町で見かけたブルーノートな建物。私のニックネーム「swang」の由来であるJackie McLeanの「SWING SWANG SWINGIN'」が四枚も飾られていました(笑)。自転車でポタリング中に発見。
昭和通りに架かる和泉橋を通過。小型ボートと比べても橋の高さが低いです。
中央通りが走る万世橋が見えてきました。
ポタリング中、万世橋の上で撮影。交通博物館の跡地に、今年JR神田万世橋ビルが完成しました。オフィスビルなので面白みはないかな。
秋葉原は30年くらい通っていますが(笑)、万世橋の脇に謎の構築物発見。橋と同じ高さの部分は公衆トイレですが、その直下にも何かあります。勝鬨橋なら跳梁橋なので機械室があるのはわかるのですが。調べてみると、川の下に地下鉄を通す時の機械室と船着場だそうです。そう言えば「ブラタモリ」で工事のことは放送していた様な。漠然と通っていると気付かないものです。
万世橋を反対側から。万世橋は昭和五年に架けられたアーチ橋。コンクリート混成だそうですが、石造りなだけに古さに味わいがあります。でも思ったより小さい橋ですね。
昌平橋。この橋も昭和三年に架けられたそうで、関東大震災の影響の大きさを感じます。震災でほとんど落ちちゃったんですね。
昌平橋と中央線橋梁。中央線に乗ることも、昌平橋を渡ることも頻繁にありますが、両者を見上げるのは初めてです。
聖橋が近づいてきましたが、その前に地下鉄丸ノ内線の橋梁を潜ります。船の上には橋に激突しない様に指示を与える船員さんがいます。大きな橋ばかりの隅田川ではいなかったはず。
船員さんの頭が僅かに写っていますが、しゃがんでこれです。丸ノ内線低過ぎ。
反対側に出て撮影。お堀には雪が残っていました。
そして今回一番見たかった聖橋。またもや震災復興橋梁で、昭和二年完成。鉄筋コンクリート製なので石橋に比べると味わいがありません。しかし小さな橋ばかりの神田川の中にあって、巨大なアーチは綺麗で見事です。大きな橋なのも当然で、ここは神田台地を切り拓いた場所ですので、神田川を人工的に通す為に深く掘り下げたからですね。
御茶ノ水橋から聖橋を望む。下船後、ポタリング中に撮影。wikipediaでは川から見上げるのが一番美しいデザインだそうですが、JRや丸ノ内線も景色の一部とすると、ここから見ても美しいです。
更に進んで水道橋付近。
右手に暗渠が見えました。小石川(谷端川)支流の東大下水が暗渠化したものの様です。暗渠になった川は現在白山通りとなっています。
水道橋。また橋が低くなりました。
後楽園でお馴染みの後楽橋。
小石川橋。ここで神田川は日比谷川と分岐しています。つまり水上バスはここで左折して日比谷川に入ります。なお、右奥の暗渠は小石川。
南堀留橋。写真でわかる様に橋はたくさん架かっていますが、如何せん首都高速が被っているので圧迫感があります。「堀留」という名称も意味があって、神田川を掘削し平川の河道を埋め立てますが、外堀として残した部分がここまでだったそうです。
一ツ橋。wikipediaによると、日本橋川と小石川が合流する、つまり「ひとつになる」場所が由来だそうです。船の案内では丸太の一本橋が由来と言っていた様な。復興事業により大正十四年完成。この橋は形がユニークです。両側に石積みのアーチ橋があって、真ん中を鋼鉄製の桁橋。自転車で訪れて撮影しようと思ったのですが、夕方になって時間切れでした。それにしても首都高速が邪魔。首都高速がなければ明るくなって、歴史ある橋ですし形もユニークなので観光客も来そうですが。
錦橋と石垣。錦橋は昭和二年完成。コンクリート製ですが、最近になって白く塗られた感じです。ボロいコンクリートそのものもどうかと思いますが、この色もなんとかならなかったのかなぁ… 錦橋の右手には江戸時代の石垣が残っています。
こんな感じ。神田川や日本橋川は明治時代の石積みも残っていて、詳しい方にはたまらない場所なのでしょう。
本郷通りが走る神田橋を通過。昭和五十五年に架け替えられたものだそうで、昭和らしく実用性重視ですね。あと10年遅かったらバブルらしく派手な橋になったのでしょうか(笑)。
常磐橋。首都高速のせいで、暗くて綺麗に写らないです… さすがに古過ぎて歩行者専用ですが、Super Mapple Digital ver.11には橋の存在さえ記載がありません。常磐橋御門跡等がある常盤橋公園の付属物みたいな扱いの様です。でもこの橋は古びていて味わいがあります。今度自転車で行ってみなければ。
橋名プレートが右から左に書かれるのが如何にも古さを感じさせます。なんと明治十年完成。御年136歳!! ピシッと締まった石積みが格好良いです。
13:40、日本橋に戻ってきました。日本橋は明治四十四年完成ですが、クリーニングが施されていて石が新しく見えます。さすが国道起点の橋は扱いが違います。
この後は船とほぼ同じく川沿いを自転車で走りました。写真は既に掲載した通り。しかし御茶ノ水橋まで来た時点で16:50で、既に夕暮れ。残念ながら時間切れとなりました。常磐橋は是非見たかったんですけどね。
その後は上野松坂屋でお弁当と総菜を購入して帰路へ。18:35に帰宅しました。
たっぷり1時間20分、東京の中心部の川を堪能してきました。いつも通る橋も川から見れば全然違うもの。丸ノ内線の橋梁の低さには笑ってしまいました。また橋の来歴を調べるのも面白いです。ヒルクライムも良いですが、寒い時期は東京再発見巡りも楽しいものです。
所要経費
東京水辺ライン 日本橋川・神田川めぐり 2000円
参考サイト
東京の橋
使用車種 ROVER AL-CRB7006M
2013/01/12 日本橋クルーズで間違えて他の船に乗ってしまったわけですが、今回はそのリベンジ。東京水辺ラインの日本橋川・神田川めぐりに乗ってきました。もちろん船着場までの往復は自転車です。更に下船後に自転車で川沿いを走って二度楽しもうという計画。
小型水上バス「カワセミ」川めぐり橋めぐり
12:20出航なのに、12:10くらいのギリギリに日本橋船着場に到着。
日本橋川は橋と潮位の関係で背の高い船は航行が難しく、この様に平べったい形が採用されています。
後方から。後方にデッキはありますが、透明の屋根の上には行けません。従ってデッキにいる時は前方の視界はかなり制限され、側面及び後方の景色を楽しむことになります。それを見越して定年世代の男性軍団が一眼レフカメラを片手に最後尾を占拠しており、後方の撮影も遠慮しながらとなりました。
それでは出発。まずは日本橋川を河口に向かいます。
河口付近を除いて、日本橋川は首都高速が空を被っています。ここは江戸橋ジャンクション。
江戸橋ジャンクションのほぼ真下に、兜神社があります。由来等は以下参照。
猫の足あと 兜神社
源義家がこの岩に戦勝祈願したのが由来とか。この後出てきますが、近くの鎧橋も源義家由来だそうです。
近くに東京証券取引所がある兜町だけに、賽銭箱も豪華(笑)。
拝殿。真上が首都高速とは罰当たりな…
鎧橋と東京証券取引所。
同じく鎧橋と東京証券取引所。鎧橋は昭和32年完成だそうで、実用性重視でスマートです。下船後ポタリング中に撮影。
日本橋水門と奥に霊岸橋。潮位により亀島川が洪水が起きない様に日本橋水門があります。霊岸橋は永代通りを走る際に通りますので馴染みがあります。
湊橋は三連アーチ橋。昭和三年に関東大震災復興事業で架けられた橋だそうです。古い橋なのに新しく見えるのは、平成元年に化粧タイル装飾が施されたからだそうです。下船後ポタリング中に撮影。
江戸時代の船を思わせるレリーフがオシャレです。
豊海橋。昭和二年竣工。この橋も関東大震災復興事業で架け替えられた橋だそうです隅田川支流河口部の第一橋梁はそれぞれデザインを変え、船頭がどの川か一目でわかる様にしたそうです。豊海橋は梯子を横倒しにした様な重量感あるデザインで、区民有形文化財に登録されているそうです。
豊海橋を潜ると隅田川です。
今回の航路は隅田川を遡るので潜ることはありませんでしたが、隅田川下流の永代橋。力こぶの様な逞しさ。ホワイトバランスがおかしくて青っぽくなりすぎました。
隅田川大橋が近づいてきました。これは下船後ポタリング中に隅田川沿いの河岸緑道から撮影。
続いて清洲橋と東京スカイツリー。
同じく清洲橋。これは下船後ポタリング中に隅田川沿いの河岸緑道から撮影。清洲橋は近くで見ると鉄骨が逞しいのですが、離れて見ると優美な曲線の美しい吊り橋です。いずれも震災復興事業で架け替えられた永代橋と清洲橋ですが、デザインは男性的な永代橋と女性的な清洲橋でワンセットになっている様です。
小名木川と萬年橋。萬年橋も復興事業で昭和五年に架け替えられたそうです。江戸時代には葛飾北斎や歌川広重も描いた優美な橋だったそうです。この橋の左側に深川芭蕉庵(芭蕉庵史跡展望公園)があります。
深川芭蕉庵。狭い道の奥に入口があります。下船後に寄ってみました。
深川芭蕉庵から隅田川上流方面。展望広場なので景色は見事です。ただずっとスマホをいじっている若い衆がいたので、見学は早々に終了。
新大橋を通過。橋の形状が皆違って楽しいです。
両国橋が見えてきました。
両国橋と東京スカイツリー。橋の途中にある丸いアクセントは両国国技館に因んで土俵をイメージしたものだそうです。この写真は下船後に撮影。
両国橋の隅田川左岸から神田川河口方面。この写真は下船後に撮影。
神田川河口にかかる柳橋です。いよいよ神田川を遡ります。
浅草橋から神田川河口方面。神田川河口は屋形船の停泊地になっていました。この写真は下船後に撮影。
和泉橋手前、神田川沿いの神田佐久間町で見かけたブルーノートな建物。私のニックネーム「swang」の由来であるJackie McLeanの「SWING SWANG SWINGIN'」が四枚も飾られていました(笑)。自転車でポタリング中に発見。
昭和通りに架かる和泉橋を通過。小型ボートと比べても橋の高さが低いです。
中央通りが走る万世橋が見えてきました。
ポタリング中、万世橋の上で撮影。交通博物館の跡地に、今年JR神田万世橋ビルが完成しました。オフィスビルなので面白みはないかな。
秋葉原は30年くらい通っていますが(笑)、万世橋の脇に謎の構築物発見。橋と同じ高さの部分は公衆トイレですが、その直下にも何かあります。勝鬨橋なら跳梁橋なので機械室があるのはわかるのですが。調べてみると、川の下に地下鉄を通す時の機械室と船着場だそうです。そう言えば「ブラタモリ」で工事のことは放送していた様な。漠然と通っていると気付かないものです。
万世橋を反対側から。万世橋は昭和五年に架けられたアーチ橋。コンクリート混成だそうですが、石造りなだけに古さに味わいがあります。でも思ったより小さい橋ですね。
昌平橋。この橋も昭和三年に架けられたそうで、関東大震災の影響の大きさを感じます。震災でほとんど落ちちゃったんですね。
昌平橋と中央線橋梁。中央線に乗ることも、昌平橋を渡ることも頻繁にありますが、両者を見上げるのは初めてです。
聖橋が近づいてきましたが、その前に地下鉄丸ノ内線の橋梁を潜ります。船の上には橋に激突しない様に指示を与える船員さんがいます。大きな橋ばかりの隅田川ではいなかったはず。
船員さんの頭が僅かに写っていますが、しゃがんでこれです。丸ノ内線低過ぎ。
反対側に出て撮影。お堀には雪が残っていました。
そして今回一番見たかった聖橋。またもや震災復興橋梁で、昭和二年完成。鉄筋コンクリート製なので石橋に比べると味わいがありません。しかし小さな橋ばかりの神田川の中にあって、巨大なアーチは綺麗で見事です。大きな橋なのも当然で、ここは神田台地を切り拓いた場所ですので、神田川を人工的に通す為に深く掘り下げたからですね。
御茶ノ水橋から聖橋を望む。下船後、ポタリング中に撮影。wikipediaでは川から見上げるのが一番美しいデザインだそうですが、JRや丸ノ内線も景色の一部とすると、ここから見ても美しいです。
更に進んで水道橋付近。
右手に暗渠が見えました。小石川(谷端川)支流の東大下水が暗渠化したものの様です。暗渠になった川は現在白山通りとなっています。
水道橋。また橋が低くなりました。
後楽園でお馴染みの後楽橋。
小石川橋。ここで神田川は日比谷川と分岐しています。つまり水上バスはここで左折して日比谷川に入ります。なお、右奥の暗渠は小石川。
南堀留橋。写真でわかる様に橋はたくさん架かっていますが、如何せん首都高速が被っているので圧迫感があります。「堀留」という名称も意味があって、神田川を掘削し平川の河道を埋め立てますが、外堀として残した部分がここまでだったそうです。
一ツ橋。wikipediaによると、日本橋川と小石川が合流する、つまり「ひとつになる」場所が由来だそうです。船の案内では丸太の一本橋が由来と言っていた様な。復興事業により大正十四年完成。この橋は形がユニークです。両側に石積みのアーチ橋があって、真ん中を鋼鉄製の桁橋。自転車で訪れて撮影しようと思ったのですが、夕方になって時間切れでした。それにしても首都高速が邪魔。首都高速がなければ明るくなって、歴史ある橋ですし形もユニークなので観光客も来そうですが。
錦橋と石垣。錦橋は昭和二年完成。コンクリート製ですが、最近になって白く塗られた感じです。ボロいコンクリートそのものもどうかと思いますが、この色もなんとかならなかったのかなぁ… 錦橋の右手には江戸時代の石垣が残っています。
こんな感じ。神田川や日本橋川は明治時代の石積みも残っていて、詳しい方にはたまらない場所なのでしょう。
本郷通りが走る神田橋を通過。昭和五十五年に架け替えられたものだそうで、昭和らしく実用性重視ですね。あと10年遅かったらバブルらしく派手な橋になったのでしょうか(笑)。
常磐橋。首都高速のせいで、暗くて綺麗に写らないです… さすがに古過ぎて歩行者専用ですが、Super Mapple Digital ver.11には橋の存在さえ記載がありません。常磐橋御門跡等がある常盤橋公園の付属物みたいな扱いの様です。でもこの橋は古びていて味わいがあります。今度自転車で行ってみなければ。
橋名プレートが右から左に書かれるのが如何にも古さを感じさせます。なんと明治十年完成。御年136歳!! ピシッと締まった石積みが格好良いです。
13:40、日本橋に戻ってきました。日本橋は明治四十四年完成ですが、クリーニングが施されていて石が新しく見えます。さすが国道起点の橋は扱いが違います。
この後は船とほぼ同じく川沿いを自転車で走りました。写真は既に掲載した通り。しかし御茶ノ水橋まで来た時点で16:50で、既に夕暮れ。残念ながら時間切れとなりました。常磐橋は是非見たかったんですけどね。
その後は上野松坂屋でお弁当と総菜を購入して帰路へ。18:35に帰宅しました。
たっぷり1時間20分、東京の中心部の川を堪能してきました。いつも通る橋も川から見れば全然違うもの。丸ノ内線の橋梁の低さには笑ってしまいました。また橋の来歴を調べるのも面白いです。ヒルクライムも良いですが、寒い時期は東京再発見巡りも楽しいものです。
所要経費
東京水辺ライン 日本橋川・神田川めぐり 2000円
参考サイト
東京の橋
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